2008/09/30
生まれ持った性質は如何ほどか
しかし、そういう現状を嘆いても仕方のないこと。
遺伝子やDNAという言葉の概念を、理解せずに使う人が増えているというだけ。
しかし、親からなにかしらの形質が遺伝するというのは事実である。
そして、そういう事実があれば、自分はどんな形質が遺伝しているのだろうかと考えてしまうことは仕方のないことだ。
また、逆に自分の形質のうち、この形質は親からの遺伝だとか、この形質は祖父母からの遺伝だとかを考えてしまうことも仕方のないことといえる。
私のことに話を移すと、私の鬱は祖父母からの遺伝であると考えている。実際に父方、母方ともに鬱病患者がいるからだ。そのうち一人は私が小学生の頃に自殺した。
そのおじさんと私は、いつかお金を賭けてゲームをしようと約束していた。その約束が永遠に果たせない約束になったことを小学生なりに悲しんだ。
その自殺について、私はいまだに根に持っていることがある。
私の周りの人間はその自殺を私に隠していたのだ。
私は普通に死んだものだと思っていた。
しかし、私が中学生になり、その時の技術家庭科の先生が私の父方の祖母の従兄弟だったのだ。
その先生は、おそらく無神経だったのだろう。
○○おじさんは自殺だったもんな。
みたいなことを私に言った。私は、知らなかったのだが、知ってるように振る舞った。無意識にそうした。
そして、親にそれとなく聞いてみた。すると親は、言ってなかったっけ。と言った。卑怯な回答であると感じた。
どうして、鬱とか自殺とか、そういうことを隠そうとするのだろうか。
そのおじさんも心の病気になったことを周りに隠していた。そして、病院にも行っていなかった。それで、どんどん悪化して、ついには自殺に至ったらしい。
鬱は「気違い」なんて言われて差別される風潮が昔からあったからだろう。
今はないと信じたいが。
そんなこともあって、私は自分の周りの友人に自分の症状を大っぴらに話す。さすがに、リストカットなどの自傷癖のことは一部の友人しか知らないが。
鬱はありふれたことなのだと、そう言いたいのだ。
結局何が言いたいのかわからないような文書になった。
何かを感じてもらえればそれでいいというような投げやりな文章だ。
今日は考えがまとまらない。
直観は最高の理由。これで解決して欲しい。
第586回「カレンダー使ってますか?」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。
今日のテーマは、「カレンダー使ってますか?」です。
私は、学生の頃は机のすぐ横に壁掛け型のカレンダーをかけて使っていました。大体、12か月分、毎月めくっていくものを使っていたことが多かったです。その頃は日付がわかればとりあえずよくて、絵柄重視でしたね。
その後しばらくカレンダーを使わない時期があったのですが、
現在は...
第586回「カレンダー使ってますか?」
壁掛けカレンダーや卓上カレンダーの必要性が理解できません。
だから、Google カレンダーを使ってます。
最近は全く予定もないので活躍できていませんが。
予定の少ないときは携帯のカレンダーで事足ります。
第585回「コレクションしているものは?」
こんにちは!トラックバックテーマ担当浜地です。
今日のテーマは「コレクションしているものは?」です。
最近はぐっと寒くなってきて
秋になってきた感じがしますねぇ~^-^
そんな中、浜地は先週のお休みに温泉に行ってきたのですが、
お土産屋さんには、ご当地キティちゃんやキューピーが
たくさんあってビックリしました。
そこにしか売っていないレアなものもあって
思わず1個買...
第585回「コレクションしているものは?」
コレクションしてるものは気持ちです。
でも、すぐになくしてしまうんです。
2008/09/28
サックリ
橙‐チャットモンチー
作詩:橋本絵莉子 作曲:橋本絵莉子
何も手につかない 白黒の瞳で
私はただひたすら
ゼアイズナッシンアイキャンドゥーフォーユー
あの頃の私は 何に感動して 何に満足して
自分を理解していたの?
どこにも行かないで
プリーズドンゴーエニウェア
1年前に戻りたいなんて
何で今さら思えるかな
あの頃の私は昨日と同じ今日なんて
考えなかった
もうこれ以上行かないで
プリーズドンゴーエニモア
目をつぶると歩けないと分かっていたのに
一人つぶっていた
目をそらすと進めないと分かっていたのに
一人そらしていた
いつの間にかあなたを傷つけ
思いがけない言葉を発していた
甘えぬき傷つけぬいた私は
今度は何を求めるかな
もうどこにも行かないで
プリーズドンゴーエニウェア
もうこれ以上行かないで
プリーズドンゴーエニモア
もうこれ以上歩けない
もうこれ以上歩けない
もうこれ以上歩けない 私は
チャットモンチー
この歌詞に共感して涙した。
2008/09/27
2008/09/26
2008/09/25
2008/09/23
第582回「大切にしている動物はいますか?」
こんにちは!トラックバックテーマ担当浜地です!
今日のテーマは「大切にしている動物はいますか?」です。
今週は動物愛護週間みたいですね。
いつもはそんなに意識していませんが、
飼っている動物を大切にしようと改めて思います^-^
浜地の実家にはクロとシロというベタな名前の犬を飼っています。
名前の由来はもちろん毛の色が黒と白だからですが(笑)
お年寄りなので、ちょっと心配で・・...
第582回「大切にしている動物はいますか?」
私の場合は動物というより、植物です。
特にサボテンがお気に入りです。
私は植物のことを専門的に学んでいるので、サボテンのことは生物学的な面でも、もとても気に入っています。
興味のある人はサボテンのことを調べてみてください。
2008/09/21
2008/09/20
エゴか何か
自分は他の人とは違う。
自分は人として完成されている。
自分は人として成熟している。
そんな自信を持っていた。
現実は違った。
自分は評価されず他人が評価される。
自分よりすぐれていない人間と思っていた人が評価される。
自分より人として未熟だと思っていた人は評価される。
自分は評価されない。
自分の自信はボロボロと剥がれていった。
本当の自分がむき出しになった。
見窄(みすぼ)らしい自分になった。
毎日、どんどんと見窄らしくなっていく自分。
無意味な自信はどこからきていたものなのか。
そんなことはどうでもいい。
もう、自己肯定など微塵もできない。
2008/09/19
第581回「ひとりごと、いいますか?」
こんにちは!トラックバックテーマ担当本田です!
今日のテーマは「ひとりごと、いいますか?」です。
ひとりごとをよく言うスタッフが、本田の隣にいます。
本田も結構、パソコンをしながら笑ったり、
しゃべってしまったりしている時があります(笑)
みなさまはひとりごといったりしませんか?
どんなときにひとりごとを言ってしまったりするのか、
トラックバックお待ちしております!
過...
第581回「ひとりごと、いいますか?」
言います。
ちゃんと架空の人物と会話します。
こんなのだから鬱になるのかな?
2008/09/18
2008/09/17
2008/09/16
2008/09/15
2008/09/14
悪態
正直、今回の実習はとてもつらいものでした。
ところで、私は、教師という職業に就いている人に対して偏見を持っています。
異常にプライドが高く、自分が孤高の存在であるかのように振る舞う人がいるからです。
教員が専門的な職業であることには私も同じ意見ですが、だからといって謙虚さを失ってはいけないと思います。
謙虚さを失った教師は、その傲慢さを職場で遺憾なく発揮します。
誰もそれを止めることはできません。
それは、閉鎖的な職場だからです。誰もその異常事態に気づかないのです。
また、その異常事態に気づいたとしても止めることはできないでしょう。
異常にプライドが高いのですから、聞く耳など持たないのです。
そんな人になりたいと思う人がいるでしょうか。
もちろんいないでしょう。
さて、私も教員への道へ足を踏み入れているわけですが、当然、謙虚さを失った異常にプライドの高い教員にはなりたくはないです。
自分が教員になるなら、子どもに慕われるような、いわゆる良い先生になることはもちろん、同時に人間として、社会人としていわゆるいい人、良い人間になりたいです。
そして、教員になるのなら教員をして生きるのではなく教員として生きる方を選びたいのです。
今回の実習は、教員の色んな面を見ることができた実習でした。
こんな挨拶を来週してやろうか。
出来事
そして、プレゼントをもらった。
誕生日プレゼントだそうだ。
どうもありがとう。なんて言って良いかわからなかった。精一杯のありがとうを伝えたつもりだ。
今日は誕生日だったのだ。
そういえば、昨日の夜も友達から電話がかかってきた。
母からもメールが来てた。
俺はいつまでこんな状態なんだろうって、自問する機会が増えた。
このままじゃまともに社会生活なんて送れるのか、それすら不安になる。
下世話な話をすると、こんなので彼女なんてできるのかって思う。
もう22歳だそうだ。自分では歳はおぼえていない。誕生日がおぼえてる。まわりの人が思い出させてくれる。自分の生まれた日。
俺の生まれたときのことは、俺自身は知らない。俺以外の人なら知っている人がいるだろう。
その人達の話を繋ぎ合わせてみると、どうやら、俺が生まれたことは皆に祝福されたらしい。とりあえず今はこのことを事実として受け止めている。それは俺にとってとても幸せなことかもしれない。
自分を受け止めてくれる人が欲しいと思うようになって久しい。
もし自分のことを受け止めてくれる人がいてくれたら、俺はその人を受け止めることができるだろうか。もちろん、命を投げ出しても受け止めるつもりだが。
自分の生きる意味が見出せない。
生まれたくて生まれてきたわけじゃない。生きる意味がわからないし、自分の周りの全てがオブラートのような薄い膜に覆われているような感覚。水でぼかした絵の具のように世界が広がっている。自分の存在もぼやけてきている。
この人のためなら自分の命を投げ出せる、そう思える人と出会えば自分の生きる意味も少しはわかるかもしれない。
この世界をもっとはっきりと認識したい。
2008/09/13
書き言葉と話し言葉
子どもとかかわるときメモをとってはいけないと。
しかし、その人はこうも言った。
書き言葉と話し言葉は違う。書き言葉で話してください。話し言葉は書き言葉にしないと意味はない。
私が、メモをこまめにとっていた理由はこうだ。
人間が物事を記憶するときは内言という話し言葉で記憶している。
しかし、話し言葉はとても不安定なもので揺れ動くのだ。
だから、書き言葉、つまりメモにして記憶しようと考えていたわけだ。
そうすれば、その時の出来事や私の思いを正しく鮮明に記憶することができる。
このある人の言葉には矛盾が存在するのではないかと私は考えた。
そう考えた瞬間私は、うんざりする気持ちになった。
2008/09/12
AとBの狭間
しかし、効果のない例え話をする人が多い。
会話をしている2人の人間AとBがいるとしよう。
あるαという物事についてAがBに説明する。
しかし、ABの両者でαについての概念が共有できていないのでAの説明はBに理解されない。
そこで、AはBと概念を共有しているβという物事に例えてαを説明する。
そうすれば、Bはβの概念から想像して、αの概念を大まかに理解できることができる。
例え話とは、こういう使い方をするものだ。
しかし、例え話をすることが格好良いと思っているのか、例え話をする自分に酔っているのか定かではないが、例え話を意味もなく連発する人がいる。
同じように、会話をしている2人の人間AとBがいるとしよう。
あるαという物事についてAがBに説明する。
ここで、違うことはABの両者で物事αについての概念が共有できていることだ。
つまり、BはAの言いたいことがわかる。
しかし、Aは例え話を始める。
Bにとってその例え話は時間の無駄で鬱陶しいだけである。
良い例と悪い例を示した。良い例のように例え話を使うと、話を聞く方もとても気持ちが良く、簡単に理解できる。
しかし、悪い例のように例え話を連発すると、何度も言うが、鬱陶しいだけである。
さらに、鬱陶しいばかりか話の本質を見失ってしまうおそれもある。
例え話というのは概念を共有するという役目がある、とても重要な会話の技術だ。
それを生半可な知識で行うことはとても危険である。
αをβに例えるならαについての知識は言うまでもなく、βについても深い知識を持っていなければならないからだ。
知識の量には限りがあるし、そんなに何でもかんでも深い知識を持っている人はいないだろう。
だから、例え話の連発はできないはずなのだ。
浅い知識や理解しかないものを例えに使うことは、相手に誤った概念を持たせ、それが正しい概念のように思い込ませてしまう危険がある。
例え話をするときは、概念の共有ができていないのを確かめ、本当にその例えで良いのか良く吟味する必要がある。