遺伝子とかDNAとか、そういうことばが氾濫している。
しかし、そういう現状を嘆いても仕方のないこと。
遺伝子やDNAという言葉の概念を、理解せずに使う人が増えているというだけ。
しかし、親からなにかしらの形質が遺伝するというのは事実である。
そして、そういう事実があれば、自分はどんな形質が遺伝しているのだろうかと考えてしまうことは仕方のないことだ。
また、逆に自分の形質のうち、この形質は親からの遺伝だとか、この形質は祖父母からの遺伝だとかを考えてしまうことも仕方のないことといえる。
私のことに話を移すと、私の鬱は祖父母からの遺伝であると考えている。実際に父方、母方ともに鬱病患者がいるからだ。そのうち一人は私が小学生の頃に自殺した。
そのおじさんと私は、いつかお金を賭けてゲームをしようと約束していた。その約束が永遠に果たせない約束になったことを小学生なりに悲しんだ。
その自殺について、私はいまだに根に持っていることがある。
私の周りの人間はその自殺を私に隠していたのだ。
私は普通に死んだものだと思っていた。
しかし、私が中学生になり、その時の技術家庭科の先生が私の父方の祖母の従兄弟だったのだ。
その先生は、おそらく無神経だったのだろう。
○○おじさんは自殺だったもんな。
みたいなことを私に言った。私は、知らなかったのだが、知ってるように振る舞った。無意識にそうした。
そして、親にそれとなく聞いてみた。すると親は、言ってなかったっけ。と言った。卑怯な回答であると感じた。
どうして、鬱とか自殺とか、そういうことを隠そうとするのだろうか。
そのおじさんも心の病気になったことを周りに隠していた。そして、病院にも行っていなかった。それで、どんどん悪化して、ついには自殺に至ったらしい。
鬱は「気違い」なんて言われて差別される風潮が昔からあったからだろう。
今はないと信じたいが。
そんなこともあって、私は自分の周りの友人に自分の症状を大っぴらに話す。さすがに、リストカットなどの自傷癖のことは一部の友人しか知らないが。
鬱はありふれたことなのだと、そう言いたいのだ。
結局何が言いたいのかわからないような文書になった。
何かを感じてもらえればそれでいいというような投げやりな文章だ。
今日は考えがまとまらない。
直観は最高の理由。これで解決して欲しい。
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