例え話とか、何かを何かに例えるということは良くある。それが、意思疎通する上で効果的だからだ。
しかし、効果のない例え話をする人が多い。
会話をしている2人の人間AとBがいるとしよう。
あるαという物事についてAがBに説明する。
しかし、ABの両者でαについての概念が共有できていないのでAの説明はBに理解されない。
そこで、AはBと概念を共有しているβという物事に例えてαを説明する。
そうすれば、Bはβの概念から想像して、αの概念を大まかに理解できることができる。
例え話とは、こういう使い方をするものだ。
しかし、例え話をすることが格好良いと思っているのか、例え話をする自分に酔っているのか定かではないが、例え話を意味もなく連発する人がいる。
同じように、会話をしている2人の人間AとBがいるとしよう。
あるαという物事についてAがBに説明する。
ここで、違うことはABの両者で物事αについての概念が共有できていることだ。
つまり、BはAの言いたいことがわかる。
しかし、Aは例え話を始める。
Bにとってその例え話は時間の無駄で鬱陶しいだけである。
良い例と悪い例を示した。良い例のように例え話を使うと、話を聞く方もとても気持ちが良く、簡単に理解できる。
しかし、悪い例のように例え話を連発すると、何度も言うが、鬱陶しいだけである。
さらに、鬱陶しいばかりか話の本質を見失ってしまうおそれもある。
例え話というのは概念を共有するという役目がある、とても重要な会話の技術だ。
それを生半可な知識で行うことはとても危険である。
αをβに例えるならαについての知識は言うまでもなく、βについても深い知識を持っていなければならないからだ。
知識の量には限りがあるし、そんなに何でもかんでも深い知識を持っている人はいないだろう。
だから、例え話の連発はできないはずなのだ。
浅い知識や理解しかないものを例えに使うことは、相手に誤った概念を持たせ、それが正しい概念のように思い込ませてしまう危険がある。
例え話をするときは、概念の共有ができていないのを確かめ、本当にその例えで良いのか良く吟味する必要がある。
0 件のコメント:
コメントを投稿