2009/06/30
第765回「早く発明して欲しいものは?」
こんにちは!トラックバックテーマ担当の加瀬です!
今日のテーマは「早く発明して欲しいものは?」です。
「こんな時に、ドラえもんのあのヒミツ道具があったら…」なんて、
誰でも一度は妄想にふけった事があると思います。
それでなくとも、自分にとって、「これがあるといいのに!」とか、
「なんでこれが発明されていないのか!」なんて思うものも
沢山あると思います。
皆さんが、早く発明される...
第765回「早く発明して欲しいものは?」
ホログラムによる仮想入出力装置
2009/06/29
第764回「のどが渇いた時の飲み物」
こんにちは!トラックバックテーマ担当の水谷です!
今日のテーマは「のどが渇いた時の飲み物」です。
そろそろ暑くなってきましたね。
水分を取って、熱中症などにならないように
気を付けている水谷です。
こんな暑い日はのどが渇きますよね。
そんな日は、やはり、日本人らしく緑茶がいいと思います!
緑茶には、カテキンが含まれているので
健康にもいいみたいですよ!
そうそ...
第764回「のどが渇いた時の飲み物」
好きな飲み物は硬度の高い水です。
Contrexは特に好きです。
極端に硬度の低い水も好きです。
2009/06/28
2009/06/27
2009/06/25
2009/06/24
その後の螺旋階段
物質世界に生きるより、精神世界に生きようと、いつかの日に誓ったことを。
『文学的思考へのいざない』 大河原忠蔵 著
この本で感銘を受けた。
実は、この本に私の母が登場する。
大衆に蔓延する「マナー」という名の行動様式。
私は、なぜそれを侮蔑するのか。
それは、それらが「本質」ではないからだ。
無駄なものを全て省き、そして、時節によって変化するものも全て省いていくと本質が残る。
マナーは本質だろうか。
否。
コミュニケーションという感情のやり取りからいくつかの方法を切り取ったに過ぎない。
しかし、世間では本質よりも、マナーという現象が重要視されている。
現象はどのような方法で実現されようとも関係がない。
本質を伴わない、マナーという現象のみがもてはやされるのは如何なものか。
本質を見失ったとき、本質の追究を止めたとき、人は大切なものを失い、自身をも失う。
マナーという現象を結果として得ることは容易である。
その結果、本質を見失い精神世界の豊饒の機会を逃す。
2009/06/22
今すぐに会いに来て
自分の死を想像するというよりも、まずは死ぬ準備の事を考える。
仕事はやめて、実家に挨拶して―僕は死ねるのか?
死ぬことによって周囲の人々を煩わせる事になりやしないか?
社会から存在を消すことが一番良い方法じゃないのか?
いつまでこんな事を考え続けなければならないのか。
救いの手は差し延べられまい。
救いにより価値が生じなければ、それは意味のないことだ。
依存だろう。
僕が取り得るであろう方法は依存だろう。
何かに依存しなければ。
自分には何の価値もない。
普通の人と比べてみればわかる。
生きる資格さえない。
この世界は生きるべき人たちのためのものなのだ。
カミソリが無い。
カッターの刃を押し込むけど切れ味が悪いね。
それでも、無いよりはいい。
一瞬にしてすべてを終わらせたい。
一人でこのまま早送り
結婚とか、お金とか、そういうのだろうか。
結婚していく友人たちを羨んではいけないのだ。決して。
決して、そのような話に耳を傾けてはいけない。心はそれを受け流さないといけない。
そうなりたいと願うようなことがあってはならない。
このまま夜の闇に同化して、気がついたら80歳で、老衰して死ぬ。
そんな生き方をしなければいけない。
決して、決して羨んではいけない。望んではいけないのだ。
資格のないものが、一時の思い上がりで夢見てはいけない。
夢見てしまえばたちまちに、僕という存在はトランプタワーのようにバラバラに崩れ落ちる。
どう足掻こうと到達できない山頂は存在しないのと同じなのだ。
宇宙飛行士は月面に降り立つ夢を見るのかもしれないが。そうでない一般の人間は月は一方的に見るもので、夜空にぽっかり空いた穴でしかない。
僕はこのまま、本当にこのまま、時が僕を摘み取るまで、どんな抵抗も企てず、屈服するのだ。
2009/06/21
表現する手段の無い
僕には、いくら感動的な景色であっても表現する手段がありません。
どんなに、優れた能力を有してようと、表現することができなければ、人間としてなにかが欠落しているような気がするのです。
言葉にすれば、たちまち色褪せてしまうような気がして、それを言葉にできない時もあります。
しかし、いくら自分が感動しようとも、言葉にしなければ、たちまち時の流れによって連れ去られてしまいます。
そうして、勢いよく過ぎ去ってゆく日々の中に僕は必然を感じないのです。
過ぎ去ってゆくことがわかっているなら、始めから何も感じないほうが良い。
忘れ去られるなら、始めから何も知らないでいて欲しい。
良き理解者の呈を成して、希望を与えないで欲しい。
すべてが流れるように過ぎ去って行くなら、日々の感情の変化に何の意味があるのでしょう。
自らの感情でさえ他に承認されなければ、それは意味を成さない。
2009/06/20
「【ブログ】テンプレート編集画面の機能改良」
平素は、FC2(fc2.com)をご利用いただき、誠にありがとうございます。
ブログ (blog.fc2.com)テンプレート編集画面の機能改良のお知らせです。
テンプレート編集画面にも、ハイライト機能を装備!
テンプレート編集ページで HTMLタグ や CSS を
ハイライト表示できるようになりました!
テンプレート内の HTMLタグ や CSS が
色分けされた状態で編...
【ブログ】テンプレート編集画面の機能改良
多機能になってきましたね。
私はテキストエディタで編集するので関係ありませんが。
ブログはできるだけシンプルにしたいです。(ダウンロードに時間がかからないため)
しかし、動的なページにもしたいという葛藤。(ダウンロードに時間がかかるため)
第758回「好きな悪役」
こんにちは!トラックバックテーマ担当の加瀬です!
今日のテーマは「好きな悪役」です。
光がある所には影がある。
正義のヒーローが向かう先には必ず悪役が存在します。
人々や世の中を恐怖に陥れる強敵もいれば、どこか憎めない
おっちょこちょいのキャラクターもいます。
皆さんは、ドラマ、映画、アニメの中で、お気に入りの悪役はいますか?
私は、色々考えましたがやっぱりバイキンマンです...
第758回「好きな悪役」
ありきたりですが、ゲイリー・オールドマンです。
2009/06/19
2009/06/16
2009/06/15
衣食住
貴方の価値観はどういうものですか。
切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい切りたい
お風呂共同だからとか、包帯巻くの面倒だとか、妙に冷静な自分が怖い。
ああああああああああああああああああああああ
壊れる内側から壊れる。
少し考えて、病院を一週間早めてもらおうか。
2009/06/14
スターバックスコーヒーが嫌いな理由
コーヒーはカップで飲むものなんです。僕にとっては。
やむを得ずスターバックスコーヒーに行くときは、色々と割り切って行きます。
冷たいものしか注文しないし、色々甘いものが添加された商品を注文します。
あそこではブラックは飲みたくないです。
第752回「カレーは甘口?辛口?」
こんにちは!トラックバックテーマ担当の水谷です!
今日のテーマは「カレーは甘口?辛口?」です。
最近、刺激が欲しいと思っている水谷です。
そんな時、辛~いカレーが食べたいですよね。
水谷は、辛いものが苦手なくせに
辛いものを食べたくなります。
汗をたっぷりかいて、ヒィヒィ言いながら食べます。
インド風のカレーも、香辛料がたくさん入っていて
とってもおいしいですよね。...
第752回「カレーは甘口?辛口?」
自分で作るなら甘口。
本格的なカレーは辛口。
そもそも本格的なカレーは辛いだけじゃない。
毒吐き壷
毒吐きました。
うつ病がなにを偉そうなこと言っているのだって感じですよね。
僕はうつ病ですよ。
だから、自己肯定感なんてものはこれっぽちも持ち合わせていないのですよ。
でもね、僕だって少しは、自分の考えっていうのをもっているのだって、そう思うときもほんの少しだけどもあるんですよ。
僕だって無碍に否定されると悲しいんです。
悔しいって思う時も少しだけどあるのです。
それでも、結局は病気なんです。
周りから見れば、病気なんです。
だって、自分で自分の身体傷つけるなんて、常軌を逸しているじゃあないですか。
だからといって、それを止めるつもりは毛頭ありませんがね。
蚊が出現し始めました。
2009/06/13
思い出しただけで腹立たしい
しかし、その方法だけではゴールにたどり着けない迷路の構造も存在する。
どういう考え方か知らないが、左手法だけではゴールにたどり着けない迷路の構造が存在するという事実を根拠もなく否定する輩がいた。
自らを「理系」と語り、普段から威勢だけは良いが、「理系」なら、「理系」らしく、論理的に説明くらいはしてもらいたいものだ。
論理的に語る力も無いくせに「理系」を語るな。
本当に『理系』である人たちに迷惑だ。
大学卒でその程度の「おつむ」だとしたら、大学に入った意味がない。
いったい、今まで何を学んできたのか。
日本の最高学府である大学を卒業したとは到底思えない。
まず、社会的な人間としてどうなのか。疑問を持たざるを得ない。
本当に腹立たしい。
論理的な説明が全てだとは思わない。このブログのタイトルにもあるように、『直観』というものもある。
場面に応じて使い分けるというのが普通だし、そのバランスも大切だ。
しかし、本当に腹立たしい。
2009/06/11
2009/06/10
よくもまあ懲りずに
記事のタイトルに「お送りしております」とつける事も相変わらずです。
今日は寝坊しました。
でも、遅刻はしませんでした。
やる気というか、活力が無いのも相変わらずです。
最近は、自分の腕の傷を見つめることが多いです。
見つめて、それから切る、というのが一連の流れだったのですが、最近は見つめるだけで終わっています。
腕の手首周辺には、斜めの線が20°くらいで交差しているところが沢山あります。菱形が沢山あってなんだか嬉しいのやら悲しいのやらといった気分です。
手首から離れるにつれて、ミミズのような傷が多くなります。
何だか、生まれたときからそこにあったように馴染んでいます。
2009/06/09
何もかもがどうでもいい
頭痛。
でも、病院には行かない。
脳梗塞か何かで死んでしまえば楽になれるのかな。
何もかもがどうでもいい。
自分には生きる理由が無い。
他人が生きる理由を提供してくれないと生きていけない。
それでは、今、この瞬間は何故生きているのか。
結局、「生きたい」んじゃないの。
うんざりするよ。
2009/06/07
上り調子でいる間は恐怖が増幅してゆく
こういう事は、自分がいま上り調子にいるということだ。
ちなみに一つ前の記事が記憶にないです。
もう一人の自分がいるのかな。
最悪を想定する。
永遠は永遠が手に入ろうとする瞬間に、永遠を失う事への恐怖に囚われる。
気分が良いときは、気分が堕ちることが怖くなる。
2009/06/06
2009/06/05
第746回「今だに信じている都市伝説」
こんにちは!トラックバックテーマ担当の加瀬です!
今日のテーマは「今だに信じている都市伝説」です。
今も昔も、私たちは摩訶不思議なものに興味をそそられますね。
学校のうわさから、日本中を、場合によっては世界を
謎に陥れるミステリー「都市伝説。」
私は今だにこっくりさんを信じています。
まだ小学生くらいの時、学校で話題になっていて、
遊び半分で家で一人、こっくりさんを召喚して...
第746回「今だに信じている都市伝説」
噂が真実になる。
2009/06/04
君の胸騒ぎが本当になると良いなあ
不安
重圧
威圧
それは僕から発せられたもの
僕は
君に強いる
最低の―
心は腐って堕ちて行く
ボロボロボロ
堕ちた欠片は土に帰る事を許されない
僕は
異物
異端者
僕は何と溶け合えばいい?
僕を溶かす溶剤は何?
何処にある?
僕は蒸発できるの?
2009/06/03
うつ病でも歌えるんだ
普通の人同士でも分かり合えないのに、僕のことなんて解るはずがない。
君は自分の身体を切ったことがあるのかい。
君は死んでしまいたいと思っているのかい。
病気
病気
私は病気
それだけ
それだけ
でも、特別
私は特別
どういうことなのでしょうか
何事も恐れず立ち向かえる方法を知っているよ。
なにも、特別なことなんかじゃない。
ただ、それを思うだけで良い。
行動が伴えばもっと良い。
そうすれば、何も恐れるに足りぬ。まだ、進めるさ。
心が悲鳴をあげているなら、もう心は限界。
心が悲鳴をあげているなら、助けてあげよう。
心が悲鳴をあげているなら、身代わりになってあげよう。
心が悲鳴をあげているなら、僕はただ生の証を刻むだけ。
2009/06/02
「比較に由る自己肯定ほど下劣なものはない」
いや、そんなに少なくもないかもしれない。
解ってしまうのだ。
言葉を発すれば発するほど、思考が偏り、自分の思想を強固なものに変えていく。そういう人は見ていてすぐ解る。そして、それはその人が意識しないところで起こっている事も。
もう喋らなきゃ良いのに。
いつも、そう思うよ。でも、そういうのを見ていると、その人の心の動きがはっきり解るから面白い。
自分の発言や考えを取り繕うような話し方はすぐに解る。
上に書いたようなこと(言葉を発すれば発するほど、思考が偏り、自分の思想を強固なものに変えていく)を意識的に行う人もいるだろう。
僕がまさしくそうだ。
今、僕のいる世界(社会的な意味で)には、「理系」ということを優れていると勘違いしている人が多い。
その人たちがいう「理系」はおそらく、高校で物理や数学3Cなどを履修していたということだろう。
そこで、僕はというと、所謂その人たちのいうところの「文系」に属するのだろう。
どうやら、「理系」という人たちは、人間を分類することが好きらしい。それも、「理系」「文系」の二つに。
僕は、高校で物理や数学3Cなどは履修していない。大学では広く知識をつけたが、理科については深く知識をつけたつもりだ。
そうなってくると、僕は所謂「理系」の人たちが分類することのできない存在になってしまうわけだ。
この世界には「理系」至上主義が蔓延しているのだ。
「理系」であることで何か優れた能力が備わっているのだろうか。
甚だ疑問である。
このことについては、また時間を取って考えたい。