2009/06/02

「比較に由る自己肯定ほど下劣なものはない」

僕ほど自分の内面を観察している人間は少ないだろう。
いや、そんなに少なくもないかもしれない。


解ってしまうのだ。
言葉を発すれば発するほど、思考が偏り、自分の思想を強固なものに変えていく。そういう人は見ていてすぐ解る。そして、それはその人が意識しないところで起こっている事も。

もう喋らなきゃ良いのに。
いつも、そう思うよ。でも、そういうのを見ていると、その人の心の動きがはっきり解るから面白い。

自分の発言や考えを取り繕うような話し方はすぐに解る。

上に書いたようなこと(言葉を発すれば発するほど、思考が偏り、自分の思想を強固なものに変えていく)を意識的に行う人もいるだろう。
僕がまさしくそうだ。
今、僕のいる世界(社会的な意味で)には、「理系」ということを優れていると勘違いしている人が多い。
その人たちがいう「理系」はおそらく、高校で物理や数学3Cなどを履修していたということだろう。

そこで、僕はというと、所謂その人たちのいうところの「文系」に属するのだろう。
どうやら、「理系」という人たちは、人間を分類することが好きらしい。それも、「理系」「文系」の二つに。
僕は、高校で物理や数学3Cなどは履修していない。大学では広く知識をつけたが、理科については深く知識をつけたつもりだ。
そうなってくると、僕は所謂「理系」の人たちが分類することのできない存在になってしまうわけだ。

この世界には「理系」至上主義が蔓延しているのだ。
「理系」であることで何か優れた能力が備わっているのだろうか。
甚だ疑問である。

このことについては、また時間を取って考えたい。

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