自分はどうあるべきか。
誰しも、自分はこうあるべきだ、と理想の自分像を持っているものだと思う。しかし、その理想の自分像からかけ離れた自分の一面を発見したとき、どう対応するのか。今日はこのような事について書きたい。
(はじめに断っておくが、これはとても個人的な内容であるし、読む人によっては不快に感じるくらい拙い内容でもある。そのように感じた人は、どうか私の未熟さに免じてご容赦いただきたい。)
自分はこうあるべきだ、という理想像がどのようであるのかという点については、前回の日記の内容から推察してもらえると思う。私には理想とする生き方や、考え方がある。しかし必ずしも、今の自分がその生き方、考え方と同じ生き方、考え方をしているわけではない。普段は理想の自分でいようと努力する。しかし、うまくいかない事は多々ある。自分が、理想の自分ではない振る舞いをしてしまったとき、どのように対処するのか。その方法は2つある。
1つめは、理想ではない自分を殺してしまうやり方だ。これは理想の自分ではない振る舞いをした事を悔やみ、以後気をつけるといったようにして行われる。
2つめは、理想ではない自分が現れたとき、その自分も悪くないぞ、と考える方法である。
現在の私は、1つめの方法をとっている。理想の自分に一刻も早く近づけようと思ってのことである。しかし、この方法の欠点は、新たな自分を発見する機会を完全に失ってしまうことだ。逆に2つめの方法は、新たな自分を発見する機会を増やす。そしてその中で、理想の自分を再構築していくことが出来る方法である。2つめの方法にも欠点はある。それは、流されるということだ。やはり、楽な方へ楽な方へと流されることは仕方のないことだと思う。
まだ若いのだから2つめの方法をとるべきだ。という意見は正論である。
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