これを読んでいる方は死というものについて考えてみたことはあるだろうか。
仮に、30歳で結婚したとしよう。平均寿命を80歳と考えると、妻(もしくは夫)と過ごす人生は50年だ。
私が一番問題にしているのは心の問題である。お金などの財産は生きている間に失うことがある。しかし、心(ここでは記憶なども含めて考える)に蓄えられた知識や知恵、考え方などは生きている間に失うことはないだろう。ここで考えなければならないのは、生きている間に育ててきた自分の心が、死という大きな節目を境にどうなるのかということなのだ。
だが、この事を考え始めるとすぐに、誰もが同じ考えにたどり着いてしまう。
わからない。
そうなのだ、この問題はわからない。つまり、死を体験してしまったら最後、もう戻ってくることはないのだ。補足しておくが、少なくとも現在まで、死を体験して戻ってきた人はいない。
もう一つ、誰もが同じく、たどり着く考えがある。
避けられない。
その通りだ、死を避けられるものはない。死という概念はないが、道ばたの石であっても長い年月をかけ風化してゆく。これは、私たちが時間の大きな流れの中に生きている証拠でもある。
絶対に避けられなく、わけのわからない事が存在する。死である。
私はここまで考えたとき、いつもある結論に達する。納得の出来る自分との別れをしようと。私は、死は自分の心との別れだという認識(刹那的な認識ではあるが)でいる。つまり、自分の今存在する自我が消滅する瞬間、自分なりにその事実を納得して受け入れられれば良いわけである。そして、そのための手段の一つとして結婚があると思うのだ。
生物学的に言えば、自分の遺伝子を残す事であるのかもしれない。それにより、本能から安心して死を迎えられるのかもしれない。だが、そのようなことを抜きにしても、結婚は死の不安を取り除いてくれるはずだ。
自分の心、疑う余地もなくそれは自分の決定で行われる。愛するという決定である。心から愛した人、認め合った人、全てを許し合った人がいれば、死など大したことではない。唯一の不安要素があるとすれば、その愛した人の死に立ち会えないことである。
0 件のコメント:
コメントを投稿