「鬱を克服」
よく聞く言葉だ。
しかし、私は鬱は「克服」するものだと思っていない。
例えば、病気を克服した場合、免疫がつくのだろう。しかし、鬱には免疫はつかない気がする。
コップに例えてみよう。
克服する。と言う場合、満タンになったコップを大きいサイズのコップに取り替えることだ。
しかし、鬱は治っても、コップは大きくならないと思うのだ。
コップはそのまま。同じ量のストレスを受けると、また溢れてしまう。
鬱になりにくい人がいる。
その人はきっと、水の蒸発が早いのか、コップに穴が空いているのだろう。なかなか溢れない。
鬱になりやすい人のコップは小さな穴が空いているだけ。ストレスが一気に入ってくると溢れてしまう。
私のコップはどんなコップだろう。
きっと、大きいコップだと思う。なかなか溢れない。でも、穴が空いていないのだ。
溜まった水は減らない。蒸発でほんの少し減るだけ。
もういっぱいになってしまった。
水は溢れて、テーブルの上にまで水が広がっている。
もうすぐ、床まで水浸しになるだろう。
底のないコップを持って生まれてきたかったな。
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