素の自分を理解して欲しいとか、素の自分を出せる関係になりたいとか、よくいわれるようになった。
だが、素の自分を理解して欲しいということと、わがままとを混同している人が多い。
また、素の自分を出せる関係を作るつもりなのか知らないが、相手に気を使わなかったり、自分の気分をそのまま態度に表したりする人もいる。
素の自分を理解して欲しいというのは、素の自分を自ら出すのではない。
素の自分は内に秘め、相手に気を使いながら、相手が素の自分を察してくれるという状況を待つものなのだ。
お互いに、素の自分、素の貴方を分かり合って、気を使い合う、それが素の自分を出せる関係の第一歩になるはずだ。
そういう、奥ゆかしくて、すばらしい人間関係をみんなが目指しているはずなのだ。
しかし、今は、相手の素の自分を「これが私なんだ」と押しつけられる。
それは、単なるわがままなのだと、いつになったら思い出すのだろうか。
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